ピュア・ハート協会の理念


プロジェクトの目的

海外で活動するNGO(非政府民間組織)の目的は「国際協力・海外援助」にあり、途上国において貧民や難民の救援活動や経済援助、医療活動など、その国が先進国に追いつくための人材養成、技術指導にあるのが一般的な考え方である。それは先進国日本の果たさなければいけない大きな役目だと思う。しかし、私たちがコルカタ(旧カルカッタ)に親のない子どもや貧しい子ども達のためにレインボー・ホームを創った目的は、「国際協力」のためだけではない。単に貧しい人たちを救うという目的ならば、現在活躍しているNGOに協力すれば用は足りる。

私たちは何のために生まれてきたのか、どのように生きたら私たちの生命は輝くのか、『いのちの証明』としてレインボー・ホームは作られた。この目的をなくして本団体、一般社団法人ピュア・ハート協会とレインボー・ホームの存在はない。

Life(いのち)

人間は、生まれてきたときには何一つ持ってはこない。どんな環境に生まれようと、愛を知るために自らの人生環境を選び、死ぬときにも何も持たずにあの世(天)に帰っていく、そしてまたこの世に戻る。私たちは「愛」という本当の自分を捜し求めて旅を続ける「生きどおしのいのち」だと思う。

時間はさかのぼるが、私がインストラクターとして勤めていた意識教育研究所の波場武嗣所長は下記の詩を掲げ、「ネットワーク虹」を計画していた。私はこの詩に共感し、プロジェクトの基本理念とさせていただいた。

『いのち それは光であり、法であり、愛である。人は愛に気づくために生まれ、生かされて生きるいのちである。』この詩を下記のように英語に訳してくれたアメリカ人がいた。

Life is a light, a law of nature and an act of love. Man is born to learn how to love others and to be made aware that life is the gift of a greater being.

私たちはこの英語の詩をユニフォームとしてデザインし、プリントしたTシャツを作った。『インド心の旅』の参加者数人がそれを着てマザー・テレサを訪れ、彼女に見せた。「このポエムが世界のすべての人々を一つにします。とても美しいポエムですね」とマザーは何度も言われ、余分にもっていたTシャツにマジックペンで「私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」という聖句とともにサインをしてくれた。マザー・テレサが私たちにレクチャーをするときよく使われる言葉が「愛」と「祈り」である。人間は「愛」を知るためにこの世に生まれてきたいのちである。また、「祈り」とは大きな天の意志と自分自身との対話であり、「ありがとうという感謝の心」、「ごめんなさいというお詫びの心」、「どうぞ幸せにと祈る心」である。

コルカタ(旧カルカッタ)に子どもの家を立ち上げるときに、私はインドの子どもの家にレインボー・ホームと名前をつけた。これは「ネットワーク虹」の理念にも通じる。

Light(光)

光がなかったらこの世は闇である。聖書「創世記」の冒頭で、神は最初に天と地を作られたが、地は闇に覆われ神の「いのち」だけがそこにあったという。そして「光あれ」と言われてこの世に光を現したと書かれている。私たちのいのちも闇に閉ざされた母の胎内から「光あれ」と呼ぶ声に導かれるかのようにして、この地、光の世に生まれてきた「いのち」である。そして光の世界によってはぐくまれ、生かされて生きてきたのである。

いっさいの生命を生かす太陽の光はプリズムを透すと七色の光となって現れる。噴水や滝の水しぶきにはよく虹が見られる。それが天空に映ったときに『虹』と呼ばれる。虹はそれぞれカラーがあっても全体は一つの光である。互いに融合し、調和しているのである。人間もそうでありたい。

Law(法)

科学の世界に「作用反作用の法則」があるように、心の世界にもその法則がはたらいている。愛すれば愛される、嫌えば嫌われる、助ければ助けられる、思い上がればけなされる、古今東西、悪い種を蒔けば悪い実を刈り取る、良い種を蒔けば良い実を刈り取るという「因果の法」は、自分が作った原因は結果として自分に帰ってくる「循環の法則」として大自然の営みにも表れている。植物は光によって二酸化炭素を吸収し酸素を出す、動物はその酸素が与えられ二酸化炭素を出す。生命は大自然の循環の中に生きている。水がなければ動植物は生きていくことができない。その雨水一滴でさえ集まれば大海を為し、水蒸気となって空に帰る。仏教の言葉に「諸法無我」という言葉があるが、そこには人間の浅はかな知恵など入る隙間もなく、万象万物がバランスを維持しながら永遠に生かされている。

もし創造主といえる存在があるとしたら大宇宙自身がその体であり、自然界そのものが天の慈愛の中にあるのだろう。大自然が人間に教えているもの、それは「相互生かし合い」である。

Love(愛)

「愛」は他を生かそうとする思いと行為である。

肉体に痛みがあるのは「痛くないように生きなさい」と、誰かが教えてくれているかのように見える。だから自分の体を大切にし、生命を維持していくことができるように創られているような気がする。同時に他に痛みを加えてはならないことを知る。生き物が空腹をおぼえるのは「食べて生きなさい」と、誰かが教えてくれているかのように見える。だからこそ他の空腹を満たしてあげたい自分を知ることができる。負(マイナス)のはたらきですら、見えないところでひたすら私たちを生かそうとするために与えてくれた天の恵みのように思う。

天は人間に悲しみという心を与えた。どんな時に最も悲しいだろうか、それは別離である。特に親や子ども、そして長年連れ添った伴侶など縁の深い人との別れにまさる悲しみはない。愛された記憶、信頼された思いが強ければ強いほど別れたくないものである。あたかも人間を創った主は愛された人を大切にし、別れることがないように教えるために人間の心の中に悲しみを与えたかのようにさえ思える。

他のために生きること、そしてけっして見返りを求めず与えること、それが愛である。その報酬は期待するものではなく、あとから自然に天によって与えられるものである。

愛を実践することは、ものを言わぬ神の意志を地上に具現することである。

Learn(学)

人のいのちのとなりで「あなたは愛されている。あなたは大切ないのち」ということを、私たちは実践をとおして伝えていきたいのである。ボランティアの原点はそこにある。自分は誰からも必要とされていないという絶対孤独感が癒されるためには「愛」しかない。

一方、実際にボランティアで親のない子どもや貧しい子ども達に関わっていると、いちばん幸せを感じるのはこちら側であることがよくわかる。癒されているのは自分であり、そのとき自分のいのちがいちばん輝いていることを知る。「人間は他のいのちに仕えるとき、自分のいのちが最も輝く」それは天の意志であり、人間はそのように創られているのである。そして他を生かす「愛」の実践をとおし、身の回りに起こってくるすべての現象を自分の学びの教材としてとらえることができたなら人生の意味が理解できる。

このプロジェクトに特定の宗教を持ち込むつもりはない。しかし「神」とも言えるべき大いなる天の意志と「永遠のいのち」は隠さずにしっかりと伝えていきたい。人間は大きな天地の慈愛の中に、誰もが自ら両親を選び、愛を学ぶために生まれてきたのだと思う。

『他のいのちに仕えるとき 自分のいのちが最も輝く』この奉仕のこころを、本団体の大理念として私たちは敬けんに祈りつつ、人に仕えていく人生を生きてゆきたい。

合掌

一般社団法人ピュア・ハート協会 創立者 五十嵐 薫